2007年02月02日

幸と不幸のバランス。

 朝、いつもより遅めに出たら東海道線が人身事故でとまる。そのまま小一時間満員電車に閉じ込められた。で、結局10時半過ぎに出社。午前中がムダになる。

 ちょっとした・・・ていうかだいぶ大変かもしれない問題が浮上。まあ何とかなるといい。

 悪いことばかりでもない。会社でて電車に乗ろうとしたらちょうど来た。で、何気なくたってたら次の駅で目の前の席だけが空いた。ラッキー。最近読んでた『ダライラマ自伝』読み終わった。残りの時間はDS。

 いいことと悪いことはどっちも起こってる。重要なのは、そのどちらにより多く気付くのかということではないでしょうか。とりあえず終わりよければすべてヨシです。

 『応援団』を弟にやらせたら弟もハマった。良かった、ツボってるの私だけじゃなくて。

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2007年01月07日

本読み終わった。

 親父にすすめられて、『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』(著:リン・マクタガード 訳:野中浩一)を読む。

 従来の量子論ではスルーされがちだったゼロ・ポイント・フィールドに目をむけることで、これまで「非科学的」と言われてきた様々な事柄を「科学的に」説明できる。手塚治虫が『火の鳥』で描いたような、ちょっとその辺に意識を向けたことのある人なら直感的にそうだとわかっていることに対して論理的な骨組みを与えてくれるような本。なかなかに刺激的でした。

 夜。家族にメシをおごる。何しろ我が家で労働者は私しかいないんだ。自分の稼いだカネで美味いもん食べて酒を飲む、と言えば聞こえはいいけれども、私が果たしてこのおカネ様に相応しい人間なのか?という点には未だに疑問が残る。

 さらに夜。触発されて、スピリチュアルな儀式を執り行う。気分が大事。

 やるべきことはいっぱいあるんだなぁ。でも果たしてその内のどれだけが本当に必要なことなんだろう、なんて考え出すと何も出来なくなるんですよ。だから、面白そうなところだけつまみ食いするんで、それでいいんじゃないかと思います。そんなこんなで今自分に足りないモノはきっと人付き合いだと思うんで、明日は旧友と飲みに行ってきます。

 あ、そういえばジャンプ出てた。今から読む。

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2006年03月17日

『ウェブ進化論』を読んで。

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 読んだからにはブログに書かなければならないだろう。『ウェブ進化論』だし。

 というわけで、何かと話題になっている梅田さんの本を読みました。率直に言えばおもしろかった。久しぶりに付箋をベタベタ貼りたいと思う本でした。

 去年末に読んだ本で、『視覚的人間』という本がある。映画が「映画1.0」から「映画2.0」に移り変わろうとしている時代に書かれた本で、著者が当時の映像と触れ合う中で感じた率直な感動や興奮が綴られている。これは初出が1920年代なんだけど、変動の時代だから見えたであろう映像の本質的な部分が描かれていて、今読んでもぐっとくるものがある。『ウェブ進化論』は、インターネットにおける『視覚的人間』になるんじゃないかな、と思った。

 中身は色々な人が書いているし読むのが一番なので割愛するとして、自分自身との関わりにおいて多少書き残しておく。

 まず、最近身の回りの人たちが頻繁に発する「Web2.0」という言葉の意味とその影響力がやっと腑に落ちた。それとの関連でAPIがなにかもやっと分った。ネット以前と以後ほどの変化ではないが、Web2.0はネットがもたらす変化のより本質に迫るものだな、というのがかなり実感として湧いてきた。梅田さんがいうように、これからの10年で景色はがらりと変わるだろう。

 そんなオモシロい10年、20年がはじまると同時に社会人になれるラッキーな自分たちの世代なわけだが、その中でどう行動していくか?ということを非常に考えさせられた。

 私は「個」と、個が共振した時に生まれるエネルギーのもの凄さに興味があるので、オープンソースを現実世界に落としこむ時の難しさの話なんか一番ひっかかったというか、武者震い的なものを感じた。

 一応4月から「人が集まって知的付加価値を生産する場」(と自分では思ってる)に関わる仕事に就くわけなんだけど、インターネット的思考がより深く根付いてくればくるほど、物理的人が集まる場所やそこで使われる道具をいかにデザインしていくかだけではなく、人間の「考え方」とそこから出てくる「行動そのもの」をどのように演出していくかという話になってくる。

 これは細かいアイディアはあっても全く答えが見えない問題で非常におもしろい。

 もう一つおもしろかったのは世代交代の話。10代のときに感動したやつらが、その「時代」を引っ張っていくんだ、というくだり。こないだ研究室の同級生であるうすいくんとも話したんだけど、そう考えるとうちらの世代ってホントに「端境期」("はざかいき"ってこういう漢字なのか)なんだよね。

 うちらよりもう少し上の人だと、家でネットが出来る感動みたいなのを明確に覚えていて、自分たちが引っ張っていくんだっていう誇りと使命感みたいなものがある。ちょっと下になると、もうそれがアタリマエで空気や水があるみたいにネットがあったって言う世代。

 私はネットの凄さに感動できた世代の最後の最後ぐらいだと思う。だから先頭に立って引っ張っていこう、というほどのエネルギーはないけど、かといって自分より若い人たちみたいにアタリマエとも思えない。「そう考えると、うちらの世代って将来的に中間管理職になる人超一杯出るよね」が先日の結論。

 つまり私らには「橋渡し役」が運命付けられているんじゃないか、と思うのです。

 『ウェブ進化論』にもあるように、結局オープンソースがいかにおもしろくてもそれじゃ食っていけないのが現状だし、デカイことをやろうと思えば既存の組織の力を借りないといけない。でも、会社で偉くなってる世代とこれからの世代だと良い悪いじゃなく住んでる世界というか、頭の構造が全く違う。だからお互いにその気はあってもなかなかコミュニケーションが取れない。私たちは、そこの橋渡しをしてこれからの人たちが思い切りできる環境を整えるのが仕事だなあ、と、結局使命感を強く感じるのはそこなのよね。

 ただの情報伝達係になったらオモシロくはないが、バイセクシャルで両方と寝れると考えれば一粒で二度オイシイではないか。そう考えると喜んでその辺の運命を受け入れてやろうと思ったね。

 Web2.0とは関係ないが、

世の中に、優秀な人というのは想像以上にたくさんいるものだが、不思議な人間的魅力を伴う「器の大きさ」と「動物的強さ」を併せ持つ個性に出会うことは滅多にない。(p.240)

 というところに妙に納得してしまった。

 「あっち側」もイイですが、生物としての本質も忘れてはいけません。

梅田望夫 『ウェブ進化論』 筑摩書房 2006年

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2006年01月05日

『ビロードの爪』 2006 no.01

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『ビロードの爪』 著:ガードナー 訳:田中西二郎

 新年一冊目はミステリー。刑事弁護士ペリィ・メイスンが初めて登場する有名な本で、この作品でガードナーは人気作家としての地位を確固たるものにしたらしい。

 ストーリーは最後まで二転三転で予測がつかない。美人秘書がいい感じ。

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2006年01月01日

昨年の読書。

 一応一通りリストにしておく。去年の読書でメモに残っているのが12冊ということを考えると目標に届かなかったとはいえまあまあじゃないだろうか。

ちなみに、去年もっとも印象に残った本は

『世界は音 ナーダ・ブラフマー』著:J.F.べーレント 訳:大島かおり
 自分自身のモノゴトのとらえ方や価値観に影響が大きかったと言う点で間違いなくナンバーワン。自分がいかに視覚偏重の文化にどっぷりつかっているかを思い知らされ、本当の身体感覚とは何かかなり考えさせられた。

文庫/新書部門のナンバーワンは


『努力論』
著:幸田露伴

 アタリマエのことを完璧にこなせるようになることが何より大事、という禅的な思想と生き方に目覚めさせられた。社会人になるにあたって、座右の書にしたいと思う。

小説部門は、とても難しいがやっぱりコレかな。

『帽子収集狂事件』著:ジョン・ディクスン・カー
 ミステリーは舞台がイギリスのものに限る。この人のは、外から見たイギリスでもなく、内から見たイギリスでもない、微妙な感覚が私自身の経験と重なる部分がありスッと世界に入れる。なによりフェル博士の自由でお茶目なキャラクターとウィットのきいた会話がたまらない。コレを読んで「ああーこういうの本格ミステリーって言うんだなー」と思ってもらってかまわない本だ。


 全ての本の一覧はこの後につけとく。こうしてみると最近は次第に東洋的なものの方を強く信じるようになってきてるのがわかる。でも西洋が嫌いなわけじゃなくて、思索的な東洋が西洋と出会うことで手に取れるものになるってところに自分の仕事があるんじゃないかと思ってる。

01.『意味と生命』著:栗本慎一郎
02.『ドグラマグラ 上・下』著:夢野久作
03.『朝の読書が奇跡を生んだ』編:船橋学園読書教育研究会
04.『自分の中に毒を持て』著:岡本太郎
05.『中国古代の文化』著:白川静
06.『密室殺人傑作選』著:ハンス・ステファン サンテッスン 訳:山本俊子
07.『哲学の現在』著:中村雄二郎
08.『死体が多すぎる』著:エリス ピーターズ 訳:大出健
09.『不思議の国のアリス』著:ルイス・キャロル
10.『述語集』著:中村雄二郎
11.『言葉と無意識』著:丸山圭三郎
12.『目には見えない何か』著:パトリシア・ハイスミス
13.『モンガイカンの美術館』著:南伸坊
14.『仙人の壷』著:南伸坊
15.『笑う写真』著:南伸坊
16.『史上最強のリーダー シャクルトン』著:マーゴ・モレル ステファニー・キャパレル
17.『エンデと語る 作品・半生・世界観』著:子安美知子
18.『キヤノン高収益復活の秘密』編:日本経済新聞社
19.『シャープを創った男:早川徳次伝』著:平野隆彰
20.『戦略的組織革新:シャープ・ソニー・松下電器の比較』著:河合忠彦
21.『「書く」ということ』著:石川九楊
22.『帽子収集狂事件』著:ジョン・ディクスン・カー
23.『第三の銃弾』著:カーター・ディクスン
24.『湖中の女』著:レイモンド・チャンドラー
25.『待っている』著:レイモンド・チャンドラー
26.『ブンとフン』著:井上ひさし
27.『モモ』著:ミヒャエル・エンデ
28.『鏡の中の鏡』著:ミヒャエル・エンデ
29.『発狂した宇宙』著:フレドリック・ブラウン
30.『偽原子人』著:井上ひさし
31.『道元の冒険』著:井上ひさし
32.『サハラ幻想行』著:森本哲郎
33.『遥かなるケンブリッジ』著:藤原正彦
34.『11ぴきの猫』著:井上ひさし
35.『宮大工棟梁 西岡常一 「口伝」の重み』著:西岡常一
36.『世界は音 ナーダ・ブラフマー』著:J.F.べーレント 訳:大島かおり
37.『人間へのはるかな旅』著:森本哲郎
38.『ブランド・リーダーシップ』著:デービッド A.アーカー 訳:阿久津聡
39.『自分を活かす"気"の思想 幸田露伴「努力論」に学ぶ』著:中野幸次
40.『努力論』著:幸田露伴
41.『アラブ人の知恵の泉 策略の書』
42.『日本音楽のちから―次世代に伝えたい古くて新しい音の世界』編:現代邦楽研究所
43.『短歌をよむ』著:俵万智
44.『文章を書く技術』著:平井昌夫
45.『さおだけ屋はなぜつぶれないのか』著:山田真哉
46.『視覚的人間 ―映画のドラマツルギー―』著:ベラ・バラージュ
47.『メッカ イスラームの都市社会』著:後藤明
48.『日本の弓術』著:オイゲン・へリゲル 訳:柴田治三郎

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2005年07月15日

『帽子収集狂事件』J.D.カー

 ミステリーが好きで、その歴史をさかのぼってみようと思ったことのある人ならジョン・ディクスン・カーは間違いなくどっかでぶつかったことのある名前じゃないかしら。といっても私の周りにはそんな人いたためしがないが。もったいない。

 そんなわけなので、以降はややマニアックな内容になっております。

 といいつつこのわたしもカーに関しては短編を一つ読んだきりだったんだけど、初めて長編を読んでこの作家の持ち味は長編でこそ活かされるもんだったんだなあとしみじみ感じているところです。

 カー自身はアメリカ人なんだけど、舞台はイギリスのロンドン。しかも観光地として超有名なロンドン塔。解説にもあるとおり、ミステリ作家なら誰でも一度はネタにしてストーリーを考えたことがあるはずの場所だ。この話は渡英後あまり間をおかずに書かれたものらしいけど、そのおかげかロンドンという街の持つ独特の雰囲気が新鮮な筆致で描かれてるなあと思った。

 ストーリーに関しては、これから読むかもしれない人の楽しみを奪ってはあまりにも無粋というものなので黙っておくとして、わたしが何よりも気に入ってしまったのはその言葉のセンス。

 カーは正統派ミステリ作家らしく相当博識な人であったらしい。そんな人がそれをさらりと包み隠して、ユーモアだの風刺だのをかまそうものなら、わたしにしてみればまさにヨダレがとまりませんというやつですよ。わたしは古典的ミステリを読んでいてこんなに吹き出したことは今だかつてない。主人公のフェル博士とハドリー警部の会話のやりとりがたまりません。博士がハドリーのフリをして自白させようとするトコとか、ハドリーがソクラテス式問答に不平を並べ立てるトコとか。

 そもそも作品のテーマ自体、エドガー・アラン・ポーの未発表原稿の盗難事件とか、不思議の国のアリスの「帽子狂」Mad Hatterから来てたりとか、いかにもミステリファンの好みそうな象徴がコレでもかと盛り込まれたサービス精神のカタマリのようなものなんです。

 今の日本に住む人たちが読んでももちろん十分面白いと思うけど、さらに作品全体の空気感をイギリスに昔住んでいたことで感じることが出来たんじならこいつは実にラッキーだったなぁ。と、多分わたし以外誰も共感してくれなさそうだが思わずアツく語ってしまった。

 ジョン・ディクスン・カー 『帽子収集狂事件』 集英社 1999年

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2005年02月15日

『自分の中に毒を持て』岡本太郎

 「悩める大学生に」と親父さんが出してきたこの本、キレが良いので今日電車での移動中にほとんど読んでしまった。学校行くときは車のが快適だが電車も本が読めるのは良いね。

 岡本太郎という人は、作品を見齧ってはいたけれどもその人間性にまで踏み込んだことは無かった。「芸術は爆発だ」という言葉のイメージだけが独り歩きしていた感もあるし。これを読んでその辺のアサハカな理解が吹っ飛んだ。彼が発しているのは、まさに「生きる」ということに対する痛烈な叫びだ。

 人間が真実「生きる」ことを阻むのは自分自身の他にいない。常に楽な道を選ぼうとする自分、社会システムの中での安寧に甘んじる自分。人にとって全ての瞬間は選択である。楽な道か、死と隣り合わせの困難な道か。そんなときに、これまでの自分を文字通り「殺して」、困難な道を全身全霊をかけて突き進むこと。困難と立ち向かい、これまでの己と闘うその瞬間瞬間に人は生きることが出来る。

 こんなふうに書くとなんだ、って感じかもしれないけれど、実際にこれを実践していくのは生やさしいことじゃない。たとえば、ノーと言えば職とかこれまでの社会的地位を全て失うという時に、ためらわずにノーと言えるだろうか?イエスといった方がラクのように見えるけど、それで生きているといえるかといえばそうではない。全存在をかけたノーを口にしたときに、新たに生きることが出来るのだ。

 私は大学に入って以降は、常にこれまでの自分とは違う自分になるように挑戦的な道を選ぶように意識してきたつもりだ。先学期の授業で小檜山先生も「迷っている間は時間の無駄。その時やりたいことを精一杯やればいい。」と言っていた。私はこの言葉を聞いたときも目からウロコが落ちるような想いだったけれども、果たして100%徹底して実践できているかと言うと、それはまだまだというしかない。

 基本が怠けモノなのでつい楽な方へ楽な方へと行ってしまいそうになるし、実際ここでうんと言わねばというところで首を縦にふれなかったことも数えちゃいないが数限りないに違いない。

 近い将来に就職したりしていやだってなんだって社会の中で生きていかなきゃいけないわけなんだけど、ある「職業」という社会の枠組みの中で満足して縮こまってしまう可能性は十二分にある。でも、あたしはこれからもずっと今まで感じてきたような新鮮な感動を感じ続けていたい。

 演劇をやっていて終幕に聞こえた観客の溜息とか、いつもの景色が初めて見るみたいに見える瞬間とか、メディアにこもってて今までの考え方が全部崩れ落ちていくあの感じとか、思い出にするだけじゃなくてずっと感じ続けていたい。

 珍しく熱くなったけど、この本に書かれていることはずっと忘れないようにしたいね。どっちにしろ死ぬまで生きてなきゃいけないんだから。

 どうでもいいけど就活バッグって無駄にたかくね?
 

岡本太郎 『自分の中に毒を持て』 青春出版社 1988年

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2005年02月12日

『意味と生命』 栗本慎一郎

 春休みということで昨年からサグラダファミリアのようにダラダラと読み続けてきた本を片付けておきました。非常にレベルの高い本なので、どこまで主旨を捉えているか不安ですが、後学の為にも未熟ながら多少のことは書き残しておこうかと思います。

 この本は、マイケル.ポランニーによる暗黙知理論の栗本氏流の解説でありながら、文中にあるようにそこを一歩も二歩も踏み越えようというものなわけです。以下は読まれるためというよりも自分に対する覚書的要素が強くなりそうなので、興味のない人とかあんまり人の意見とか聞きたくない人は読まんほうがいいかもしれません。

 ポランニーの暗黙知理論はそもそも言語を従来の閉じた体系ではなく、開かれた相対性によってとらえることをベースにしている。一つの焦点・目的としての意味を形成する諸細目は、下位概念でありながら別の諸細目の意味となりうる。そこにおける意味付与と意味読解のダイナミズムの中で存在はうまれる。暗黙知理論はこの下位概念と上位概念の相互作用のダイナミズムに注目した層の理論ともいえる。

 メルロ・ポンティは『世界内存在』として言語によって築かれた世界の中にあって存在するものとしての人間を提示してみせ、自然を外部として捉える近代的二元論の問題点を指摘した。ポランニーは層だけではなく、上位が下位に、そして下位が上位に影響を与え合う、相互作用の仕組みにまで論を広げた。その辺が還元主義とは違うところだ。

 ここらへんは余談だけれども、この相互作用の水際というか、いわば内的な理論と外的理論のせめぎあいの部分が身体なワケで、その辺デザインやってる身としてはやはし身体についてはもう少し考えを深めねばいけんと思うわけです。と同時に言語論ですね。こういう本を読むとホント自分はまだまだもいいとこだなぁと思い知りますな。

 で、この層の理論の解説から空間と時間についての議論をはさみ生命論へと話は発展していくわけです。

 時間と空間について言えば、空間が時間によって記述しうるというのはよくある話なものの、そこをもう一歩進めて時間は何によって語りうるのかと。ここではエントロピーの話をしています。エントロピーが基本的には増大するという性質と時間の不可逆性について。このあたりは難しいので理解不足だ。

 そして生命論。ここに至るまでに暗黙知の主要な要素として直感、そして想像力をあげているわけだが、いわばそれらのものが向かわせようとする意味としてのX、別の言い方をするならば場の力とは何かという話。場の力とは諸細目に対する秩序であり、唯一エントロピーを現象させるもののこと。これは現行の進化論の問題点の指摘でもある。まあそんな生やさしい口調じゃないけど。

 結果としては、今後注力されるべきなのは何故このような暗黙知的能力を人間が持つに至ったのかということと、人類が諸細目として位置づけられる場の力Xとはどのようなものなのかということに正面きって乗り込んでいくことなんじゃないかと私は理解した。

 このような能力を可能にする化学レベルでの下位構造とその理論が存在するはずであり、人間が人間としてある意味としての場の力があるのだ。その可能性として清水博氏の自触媒的な揺らぎの理論や量子力学が挙げられているが、やはりまだ可能性の段階に過ぎない。

 料理のための材料は揃っているのだから、これらの諸問題の解決に向かっていくのだけれど、それが理解されたときにはそれまでの世界が崩壊し生まれ変わると同時に、「目覚めたもの」としての人間と上位の力との格闘が始まるだろう。

 私が生きているうちには場の力について今よりは多少分かってるかも知れないけど、本当の意味で解明されるのは更に当分先になるんじゃなかろうか。それまで自分がやるべき事といえば、西欧形而上学的世界観をぶっ壊していくお手伝いと、その上で見える新たな世界を道具を通じて提示していくことかなぁと考えた。いずれにしろ先の長いことよ。

栗本慎一郎 『意味と生命』 青土社 1988年

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2004年09月03日

『チャップリン自伝』上・下

 大昔から部屋の本棚に入っていたもののなんとなく手をつけてこなかった『チャップリン自伝』を、なぜか急に読む気になって読んでみた。多分最初の数ページぐらいは読んだことがあるはずなんだけど、そのときは最後まで行き着かなかったらしい。

 あたしは、実は今までチャップリンの作った映画を見たことが無い。特に避けてきたわけでもないから、機会に恵まれなかったんだろうな。そんな状態で自伝なんか読んだって、あんま面白くないだろうとおもわれるかもしれないけど、読み終わってみるとかえって一本も見ないで読んでよかったんじゃないかという気もする。

 ひとつには、見てから読む人の方が圧倒的に多いだろうということ。ケースバイケースとはいえ、あたしは基本的に少数派に入るのが好きらしい。多分目立ちたがり屋精神の表れだけど。もうひとつは、映画を見たことがないだけにチャップリンその人にかえって注目できたんじゃないかとおもうこと。先入観がない分本人の言ってることが「ああそうなんだろうな」とあっさり受け入れられるというか。まあ裏を返せば初めてチャップリン映画を見るときはもう先入観抜きには見られないということだが。それは作品を楽しむための前提知識ということにしておこう。

 しかし、いまさらあたしなんかが言うのも変な話だけど、チャップリンという人は本当に「本質」というものがなにかとても良くわかってる人だったんだなぁとおもう。決して明るいという時代に生きたわけではないのだけれど、常にそのときそのときの時代の本質を見抜き、それだけでも大層なことだがさらにそれを「笑い」に変えてしまうというのは、やはり凄い。逆に、バブルでうはうはみたいな時代だったら才能を活かしきれなかったかもしれないけどね。いずれにしろ、「笑い」を生み出すのは一番頭のいい人間だというあたしの考えはさらに強く裏付けられたわけだ。

 本というものは、なぜか読むべきときに読んでしまうものなのですね。

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2004年02月14日

02.『聖なる幻想の宇宙 インド』 森本哲郎 他

 随分時間が空いてしまったけれど読書ログ"ヨンダホン"の二つ目です。
 
 これまでインドについて書かれた本、漫画、あるいは実際に旅行してきたという人の体験談というものに少ないながらも触れてきた私が、その少ない経験なりに感じるのは、私たちのような人々とインドとの出会いは決して穏やかなものではありえない、ということだ。

 そして、それは多くの場合熱狂か拒絶かのどちらかの場合で現れることが多い。あくまでも大まかにいってという話ではるのだけれど。とはいえ、この本に関してもこれはそこまで的外れの考えでもないんじゃないかと思う。

 そもそもこれはどういう本かというと、様々な人々のインドに関する文章をオムニバス的にまとめたものだ。インドという同じ対象について書いていても筆者ごとに結構色が違ってておもしろい。

 とはいえ、違っているとは言っても、私は案外それぞれのリアクションの根本の部分は案外似ているんじゃないかと思う。逆に言えば、インドというと私たちが普段持っている価値観とのあまりの違いにショックを受けると思われているけれども、そうではなくて根本的には同じ価値観に基づいている違う世界であるということにショックを受けるのではないか、ということなのだ。

 インドの人たちは、生まれたときから自分がこの世に何のために生まれたのかを知っている。比べて、近代市場主義社会に生まれた私たちは、その意味を一生かけて探らなくてはいけない。まあ、そうじゃないと言う人もいると思うけど、あたしは一応そう思う。だからこそ、私たちはそれを始めから手に入れている人たちを見ると、そしてそれが社会として成立しているのを見ると、心穏やかではいられなくなる。熱狂なり拒絶なり、なんらかのリアクションをとらなければいけなくなる。

 まあ、どこまで当たっているかは知らないけれど、そんなことを漠然と考えた。いずれにしろ、もっとインドについて知りたいなぁと私に思わせてくれた一冊には違いない。直接行く勇気は今のところない。


 責任編集:森本哲郎  綜合社  1986年

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2004年01月10日

01.『パンツを捨てるサル』 栗本慎一郎

  はじめに言いますが、長いです。暇なときに読んでください。ちなみに、読んだのは去年ですがこれと一緒に同じ著者の
 
 『パンツをはいたサル』 光文社 1981年
 
 についてもちょっと書かなければならない。結構衝撃的なのは、人間を人間にするのは理性である、という一般の説をまず頭から否定するところ。でも言われてみれば、私たちは理屈ではおかしいとわかっていることを平気でする。というか、そうすることのほうが多い。じゃあ、なんでそんなことをするのかというと、それは私たちが"パンツ"をはいているからなのだ。

 ここでいうパンツっていうのは、ヒトが生物学的に生きていくうえではまったく必要のない余分なものの総称です。子供が砂のお城を作って壊すのを面白がるみたいに、余剰な生産を一気に破壊しつくす、というのはヒトにとってたまらない快感なのです。しかも、これはためこめばためこむほど破壊の時に気持ちいい。ヒトは、その先に快感が待っていると分かっていなかったら、苦しいことなんてしないんです。中には断食を続けて生きながらにミイラになる修行をするような高僧もいるじゃないか、という話には、「死ぬときにとてつもなく強烈なエクスタシーを感じていたはず」と一蹴。

 この本、おもしろいっていうより気持ち良い。あたしが常々、なんで自分はこんなに反戦団体や動物愛護団体が嫌いなんだろう、と思っていた疑問をすっきり解消してくれたから。結局ね、理性に訴えかけたってだめなんですよ。ヒトは戦争がしたい、殺戮、破壊がしたい生き物なの。それを恥ずかしがらずに認めた上で、じゃあそういうパンツの脱ぎ方をしないで、どううまくパンツを脱ごうかしら、ということを考えなくちゃいけない。同感。

 もうひとつは、「内知」。近代科学では、人間をはじめとする生物を、機械をしてとらえる。もちろん、人間はただ物理的にものが組み合わさっただけの機械的物体ではないし、ここが重要なのだが、機械そのものも完成した時点でただの物体ではなくなる。要は何が言いたいのかというと、ヒトが考えている意識とかそういう上部構造は、動物としての下部構造に影響される、ということ。たとえば、「腑に落ちる」なんていう単語はまさにこの感じをよく表している。近代社会は、知は外の世界にある、という外知の考えによっていて、私たちの体感とちょっと合わなくなってきている。「発想の転換」というのは、実はこの内知に回帰することである、とも言える。

 『パンツを捨てるサル』のほうでは、「快感進化論」というのがメイン。これも、ダーウィンの進化論をいまだに信じているヒトには多分ショッキングな話。人間は最近ますます快感を感じやすくなっているらしい。つまり、それはどういうことなのか、そうなると出てくる、どうしても捨てなければいけないパンツとは、みたいな。一冊目が腑に落ちてると、衝撃度数は低いですが、ダーウィンの進化論以外の進化論が思いつかないというヒトは一度読んでみると面白いかも。

 ていうか、いきなり二冊分は無謀だった。読むほうも疲れとるだろうが、あたしはもっと疲れとるよ。まあ、とりあえずこんな感じで。第一回は終わり。おしまい。はー疲れた。

 
 著:栗本慎一郎 光文社 1988年

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2004年01月09日

00.ヨンダホン

 さて、かねてより予告していたとおり、新コーナー(?)でございます。

 これはですね、今年に入ってから私が読んだ本(小説・漫画のぞく)の内容やら、それを読んで私がどう思っただのを書いていこうというモノで、その名も"ヨンダホン"。あくまであたしなりの、ではありますが、もし同じ本読んで異論反論ある、という方いましたらツッコミの方もよろしくお願いします。

 さて、一年でいったい何冊読んでるんでしょう。

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