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2009年03月15日

『半島を出よ』上・下

 ここ2週間ぐらい行き帰りの電車などでちまちま読んでいた『半島を出よ』を今日ようやく読み終わった。村上龍は大学生の時に一度すごいハマっていろいろ読み漁った時期もあったけど、最近はそうでもなかったのでなんか久々。わりとボリュームのある小説だと思うけど、後半に行くほど勢いが増していくので特に下巻は一気に読める。

 「戦い」あるいは「戦争」というのは村上龍のテーマの一つだと思うけど、今回のはまさに集大成と言ってもいいほど気合が入っているのではないかと。これまで読んだ中では『五分後の世界』が一番好きだったんだけど、これは二段階ぐらい超えてきた感がある。

 特に新しかったところは、「敵」である北朝鮮の兵士サイドからも物語が描かれるところ。個人的には、村上龍が「戦争」を描くのはそれが「対立」の象徴だからではないかと思う。

 対立によって描かれるのは、戦争と平和、多数派と少数派、暴力を振るうものと振るわれるもの、金持ちと貧乏人、自国と他国、生と死、などなど。いずれも一方がなければもう片方が存在しない性質のものだ。もし自分がどちらか一方だけにて反対側のことをまったく知らなければ、自分の輪郭はぼやけてはっきりしない。しかし、もう一方と対立すれば衝突の中でおのずと自分の輪郭がクッキリと立ち上ってくることになる。

 こと「戦争」ともなればこれが目まぐるしく入れ替わり、自分が何者か痛いほど思い知らされると共に、どちら側につくのかを選び続けるということでもある。小説ではその辺を拡大して表現するために戦争を描いているけれども、戦争でなくても生きるということは本質的にそういうことなんだと思う。生きるとは、自分がやるべきことを自分で選ぶことであり、選ばなかった方を捨てる覚悟を決めること。そして、選ぶためには両方の正体を自分の目で見極めること。

 こういったことは『五分後の世界』でも感じたところだけど、今回は「敵」サイドも含めあらゆるところを「語り手」に持ってくるスタイルでよりその辺のテーマがはっきりしていたと思う。まあ、小難しい話を抜きにしても純粋に戦争アクションとして楽しめる。でも内臓が飛び散ったりする描写がダメな人にはおススメできません。

 それでもこのテーマ×村上龍のわりにはいわゆるグロ描写は少ないような気がするけどね・・・。

投稿者 yosim : 2009年03月15日 21:44

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