春休みということで昨年からサグラダファミリアのようにダラダラと読み続けてきた本を片付けておきました。非常にレベルの高い本なので、どこまで主旨を捉えているか不安ですが、後学の為にも未熟ながら多少のことは書き残しておこうかと思います。
この本は、マイケル.ポランニーによる暗黙知理論の栗本氏流の解説でありながら、文中にあるようにそこを一歩も二歩も踏み越えようというものなわけです。以下は読まれるためというよりも自分に対する覚書的要素が強くなりそうなので、興味のない人とかあんまり人の意見とか聞きたくない人は読まんほうがいいかもしれません。
ポランニーの暗黙知理論はそもそも言語を従来の閉じた体系ではなく、開かれた相対性によってとらえることをベースにしている。一つの焦点・目的としての意味を形成する諸細目は、下位概念でありながら別の諸細目の意味となりうる。そこにおける意味付与と意味読解のダイナミズムの中で存在はうまれる。暗黙知理論はこの下位概念と上位概念の相互作用のダイナミズムに注目した層の理論ともいえる。
メルロ・ポンティは『世界内存在』として言語によって築かれた世界の中にあって存在するものとしての人間を提示してみせ、自然を外部として捉える近代的二元論の問題点を指摘した。ポランニーは層だけではなく、上位が下位に、そして下位が上位に影響を与え合う、相互作用の仕組みにまで論を広げた。その辺が還元主義とは違うところだ。
ここらへんは余談だけれども、この相互作用の水際というか、いわば内的な理論と外的理論のせめぎあいの部分が身体なワケで、その辺デザインやってる身としてはやはし身体についてはもう少し考えを深めねばいけんと思うわけです。と同時に言語論ですね。こういう本を読むとホント自分はまだまだもいいとこだなぁと思い知りますな。
で、この層の理論の解説から空間と時間についての議論をはさみ生命論へと話は発展していくわけです。
時間と空間について言えば、空間が時間によって記述しうるというのはよくある話なものの、そこをもう一歩進めて時間は何によって語りうるのかと。ここではエントロピーの話をしています。エントロピーが基本的には増大するという性質と時間の不可逆性について。このあたりは難しいので理解不足だ。
そして生命論。ここに至るまでに暗黙知の主要な要素として直感、そして想像力をあげているわけだが、いわばそれらのものが向かわせようとする意味としてのX、別の言い方をするならば場の力とは何かという話。場の力とは諸細目に対する秩序であり、唯一エントロピーを現象させるもののこと。これは現行の進化論の問題点の指摘でもある。まあそんな生やさしい口調じゃないけど。
結果としては、今後注力されるべきなのは何故このような暗黙知的能力を人間が持つに至ったのかということと、人類が諸細目として位置づけられる場の力Xとはどのようなものなのかということに正面きって乗り込んでいくことなんじゃないかと私は理解した。
このような能力を可能にする化学レベルでの下位構造とその理論が存在するはずであり、人間が人間としてある意味としての場の力があるのだ。その可能性として清水博氏の自触媒的な揺らぎの理論や量子力学が挙げられているが、やはりまだ可能性の段階に過ぎない。
料理のための材料は揃っているのだから、これらの諸問題の解決に向かっていくのだけれど、それが理解されたときにはそれまでの世界が崩壊し生まれ変わると同時に、「目覚めたもの」としての人間と上位の力との格闘が始まるだろう。
私が生きているうちには場の力について今よりは多少分かってるかも知れないけど、本当の意味で解明されるのは更に当分先になるんじゃなかろうか。それまで自分がやるべき事といえば、西欧形而上学的世界観をぶっ壊していくお手伝いと、その上で見える新たな世界を道具を通じて提示していくことかなぁと考えた。いずれにしろ先の長いことよ。
栗本慎一郎 『意味と生命』 青土社 1988年