今年も柏尾川に桜が咲いた。

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部屋を掃除していたら、三年前のノートから出てきたラクガキ。色々と変わってきたようでいて、根本的なことは何一つ変わっていない。このあたりは今後も変わらずにおきたい。
それにしても驚くのは、この部屋に溜まってるものからわかる自分自身の「なんか創る」ということへの欲求。小学生の頃から今に至るまで、つくってきたものが全て収まってるこの部屋はすごい。一度全てきちんと整理しておきたいとも思うけど、うちを取り壊すとかそういうきっかけでもない限り難しそう。
しかしこれからはモノを捨てられる女になりたいわ・・・。
というわけで、23日は卒業式と園遊会があった。最後の最後まで「本当に学位記をくれるのだろうか」とハラハラしたけど、くれたのでもうこっちのもんだ。返せといわれても返さない。
卒業式は高校の時と同様、特に何の感慨もなかった。通過点。それよりも、学位授与式のために会場がSFC生だけになったときの雰囲気の変わりっぷりがおもしろかった。日吉が途端に藤沢になったかのようだった。やっぱり人なのね、人。
某M井先生の70%暴言によって構成されていたお話が式全体で一番心に残りました。独立自尊。
卒業式にスーツで行ったら、女でスーツきとるのほとんどいなかった。3分の1~2分の1ぐらいはスーツで来ると思っていたので、べっくらこきました。みんな袴でした。私は、なぜ卒業式で袴をはくのかということが、成人式でなぜみんなあの白いモサモサをつけるのか、ということと同じぐらい疑問なのでした。
その後、母親に横浜まで荷物を持ってきてもらい、振袖に着替えた。成人式の時はマジおばちゃんの流れ作業だったので、正直「それはちょっと・・・」的な部分もあったんだけど、今回は若い美容師さん2人だったので「若い人のセンスはさすがね」と感心してしまった。色々おしゃべりしながら着付けてもらったけど、丁寧にやってくれて感じよかった。気がついたら18時だったけど・・・。
園遊会は姫が一杯いました。去年よりティアラが流行ってなかったのでほっとしました。私は振袖だと貫禄があるらしく、「どこのママさんですか」と色んな人に言われた。
抽選会の券を入場時に渡されるのだが、私はその札の番号が「2000」だったので、何も当たる気がしなかったが案の定当たらなかった。むしろキリ番なんだからなんかくれれば良いのに。メシは美味かったが次から次へと人に遭遇するのでほとんど手をつけられず。内部上がりなので知り合いはやたらいた。また何年もあわなそうだが、生存が確認できたのでよろしかった。
その後、別のホテルに移動してサークルの追いコン(というより卒業生主催の"勝手に飲めば"会)へ。昨年追い出された反省を活かし、今回は幹事さんが「明らかにそういう職業の女の人のための出入り口」完備のホテルを用意してくれていたので、その辺りは超快適だった。しかも徒歩5分圏内に24時間営業のラーメン屋とコンビニと100均あるし。
うちのサークルの'02生は、基本的にバラバラだった。完全に個人主義者の集まりだった。だけど、それゆえにワガママに人と付き合う術を知っている奴らばかりだったので、あたしにとっては最高に居心地が良かった。みんなそれぞれの道があるから、離れてても一緒にいてもオモシロイ。
薄々感じていたこととはいえ、18日の追いコンと今回と、本当に誰一人泣くヤツがいないのはさすがにどうか、と思ったが。むしろ朝起きてみたらほとんどのヤツいなかったし!お前ら自分のコップぐらいは片付けていきやがれ!と残った人たちでキレていたら感慨もなにもあったものではなかった。
結局残った数名で片付けて、チェックアウトのあとジョナサンでブランチ。そこで「今度プロフィールを書くときは『慶応大学卒』だな」という話になって初めて「ああ、卒業したんだな」と納得したうちらであった。
おそらくこれからもてんでバラバラの人生を歩むことになる面子だろうが、少なくとも「慶大卒」「MOVE卒」「奥出研卒」でつながってることはまあ愉快な話です。独立自尊でみんな自由に生きて行ってくれれば良いんだけど、たまには消息を知りたいもんだなぁ、そしてお互いに吸収できることは吸収しあいたいなぁ、せっかく色んな世界に飛んでく(或いは堕ちていく)んだからなぁと思いました。自分自身も一生あの人たちにおもしろがられていたいし。
そういうわけでとりあえず、次のMOVE'02年度飲みは1ヵ月後です。
卒業シーズンなのでやってみるとする(関係ない)
[指定型★バトン]のルール
◆廻してくれた人から貰った『指定』を『』の中に入れて答える事。
◆また、廻す時、その人に指定する事。
私あての指定はなぜか「鈴木」でした。というわけで「鈴木」に対するやるせない思いのたけを一気にぶちまけたいと思います。
◆最近思う【鈴木】
あの頃と比べるとすっかり丸くなっちまったなぁ、鈴木。
◆この【鈴木】には感動!!!!
鈴木!どこに花火さしてんだよ!!
あと高い買い物をしすぎだよ、鈴木!びっくりしたよ!!
◆直感的【鈴木】
私の知っている鈴木はどちらかというと直感に頼ると失敗するタイプだ。
◆好きな【鈴木】
ギャグが思ったほどウケなかった鈴木。
◆こんな【鈴木】は嫌だ!
すずきもこみち。
◆この世に【鈴木】がなかったら・・・
田中と佐藤が増えてる。
◆次に回す人、5人(『指定』付きで)
ヨシム 「鈴木」 24日来る? (By エリサ)
24は難しいところだなぁ。サークルの飲みから何らかの理由で追い出されたらいけるかもしれん。
それにしてもみんな各々の道に入っていきますなぁ、と感慨深い。
読んだからにはブログに書かなければならないだろう。『ウェブ進化論』だし。
というわけで、何かと話題になっている梅田さんの本を読みました。率直に言えばおもしろかった。久しぶりに付箋をベタベタ貼りたいと思う本でした。
去年末に読んだ本で、『視覚的人間』という本がある。映画が「映画1.0」から「映画2.0」に移り変わろうとしている時代に書かれた本で、著者が当時の映像と触れ合う中で感じた率直な感動や興奮が綴られている。これは初出が1920年代なんだけど、変動の時代だから見えたであろう映像の本質的な部分が描かれていて、今読んでもぐっとくるものがある。『ウェブ進化論』は、インターネットにおける『視覚的人間』になるんじゃないかな、と思った。
中身は色々な人が書いているし読むのが一番なので割愛するとして、自分自身との関わりにおいて多少書き残しておく。
まず、最近身の回りの人たちが頻繁に発する「Web2.0」という言葉の意味とその影響力がやっと腑に落ちた。それとの関連でAPIがなにかもやっと分った。ネット以前と以後ほどの変化ではないが、Web2.0はネットがもたらす変化のより本質に迫るものだな、というのがかなり実感として湧いてきた。梅田さんがいうように、これからの10年で景色はがらりと変わるだろう。
そんなオモシロい10年、20年がはじまると同時に社会人になれるラッキーな自分たちの世代なわけだが、その中でどう行動していくか?ということを非常に考えさせられた。
私は「個」と、個が共振した時に生まれるエネルギーのもの凄さに興味があるので、オープンソースを現実世界に落としこむ時の難しさの話なんか一番ひっかかったというか、武者震い的なものを感じた。
一応4月から「人が集まって知的付加価値を生産する場」(と自分では思ってる)に関わる仕事に就くわけなんだけど、インターネット的思考がより深く根付いてくればくるほど、物理的人が集まる場所やそこで使われる道具をいかにデザインしていくかだけではなく、人間の「考え方」とそこから出てくる「行動そのもの」をどのように演出していくかという話になってくる。
これは細かいアイディアはあっても全く答えが見えない問題で非常におもしろい。
もう一つおもしろかったのは世代交代の話。10代のときに感動したやつらが、その「時代」を引っ張っていくんだ、というくだり。こないだ研究室の同級生であるうすいくんとも話したんだけど、そう考えるとうちらの世代ってホントに「端境期」("はざかいき"ってこういう漢字なのか)なんだよね。
うちらよりもう少し上の人だと、家でネットが出来る感動みたいなのを明確に覚えていて、自分たちが引っ張っていくんだっていう誇りと使命感みたいなものがある。ちょっと下になると、もうそれがアタリマエで空気や水があるみたいにネットがあったって言う世代。
私はネットの凄さに感動できた世代の最後の最後ぐらいだと思う。だから先頭に立って引っ張っていこう、というほどのエネルギーはないけど、かといって自分より若い人たちみたいにアタリマエとも思えない。「そう考えると、うちらの世代って将来的に中間管理職になる人超一杯出るよね」が先日の結論。
つまり私らには「橋渡し役」が運命付けられているんじゃないか、と思うのです。
『ウェブ進化論』にもあるように、結局オープンソースがいかにおもしろくてもそれじゃ食っていけないのが現状だし、デカイことをやろうと思えば既存の組織の力を借りないといけない。でも、会社で偉くなってる世代とこれからの世代だと良い悪いじゃなく住んでる世界というか、頭の構造が全く違う。だからお互いにその気はあってもなかなかコミュニケーションが取れない。私たちは、そこの橋渡しをしてこれからの人たちが思い切りできる環境を整えるのが仕事だなあ、と、結局使命感を強く感じるのはそこなのよね。
ただの情報伝達係になったらオモシロくはないが、バイセクシャルで両方と寝れると考えれば一粒で二度オイシイではないか。そう考えると喜んでその辺の運命を受け入れてやろうと思ったね。
Web2.0とは関係ないが、
世の中に、優秀な人というのは想像以上にたくさんいるものだが、不思議な人間的魅力を伴う「器の大きさ」と「動物的強さ」を併せ持つ個性に出会うことは滅多にない。(p.240)
というところに妙に納得してしまった。
「あっち側」もイイですが、生物としての本質も忘れてはいけません。
先日、卒業旅行としてロンドンに行ってきた。実質観光は3日だったけど、なかなか効率よくまわれて楽しめたと思う。
写真などは、Flickrにアップしたのでそっちを見てくださいな。
Flickrのほうの写真はほとんどにコメントをつけてあるので、大体どんなところをどんなコースでまわって何を見たかは大体わかると思います。なので、そっちに載ってない話をこっちにちょっとだけ。
あたしが向こうで買い物した中で、一番気に入っているのがこの手帳。
手に収まるサイズなんだけど、普通の8cm間隔のパンチで空けた穴が使えるようになっている。日本で売ってるこのサイズの手帳って、大体六つ穴かメーカーの専用の用紙しか使えなくて気に入ったのがなかったんだけど、これは使える。かつ皮なので長持ちしそう。というのでつい買ってしまった。
これなら安く売ってる紙に自分で穴あけてリフィル作れる。持ち歩きようのスケッチ手帳&読書メモ帳として使ってみるつもり。
最後に、Flickrのほうでも触れてるけど、もし今後コレをみている人がロンドンに行こうと思ったら絶対お勧めなのがこのお店。
ここを見ているような連中は間違いなくスキだと思う。日本のオモチャ売り場は一体なんだ?っておもうよ。大人でもテンションの上がるオモチャが一杯で、こういうところから天才が育つのか、と感じさせてくれます。お土産にも最適。
うっかり買ってしまったので、明日DNPに持って行きます。