熱海城天守閣で飲み会。

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気分転換に映画を見てきました。オペラ座の怪人。噂通りの気合の入った豪華な映画で、大変目の保養になりました。あの主題の曲いいよね。インパクトがあって。
そんで、家に帰って両親と感想などについて話していたら、「なぜあの物語はこんだけ時代をこえて人気があるんだろう」ということになりました。たしかにね、私ははじめてあのストーリーを見たんだけど、想像していたとはちょっと違う展開でもあったんですよ。冷静に考えるとわけのわからんストーリーだ。
こっから先は私的な展開かつネタバレ含むなので、まだ見てない人とか映画みて感動したわという女性の方々は見ても文句を言わないでください。
ところで、映画と父や母が見たことがあるという舞台のストーリーはちょっと違うらしい。一番大きい違いは多分映画ではファントムはやたらと人を殺すがミュージカルでは殺すまでいかないというところ。
映画では演出的なハデさを求めるとこもあるけど、やっぱりスジとしてわかりやすくする意味も大きい気がする。ファントムは人殺しにしといたほうが、最後にクリスティーナがなんだかんだ言って金持ちのボンボンを選ぶところで「ちょっとそれひどくな~い?!」っていう感想が出にくいからなんじゃないかしら。
そう、この最後に結局ボンボンを選ぶ、というのがオペラ座の怪人の最大のミソなのよ、というのが私の結論。
普遍的に人気がある作品は、普遍的なテーマを持っているもの。ここでのテーマは、世の女性陣にとって常に多く関心をしめてきたこと。すなわち、「結婚に安定を求めるか、それともトキメキか?」ということです。
ファントムはとても才能豊かな人です。アブナイとわかっていても心魅かれるタイプです。でも性格がちょっとめんどくさいし社会性とか生活力がありません。かたやボンボンは自分の言うことなら何でも聞きそうだし一生食うに困らないしさらにありがたいことにハンサムです。
だったらボンボンを選んだってしかたないじゃない?
クライマックスでクリスティーナがファントムに向かって「わたしあなたの才能とかすごいと思うし、ぶっちゃけ心が揺れたわ。でもダメよ、だってあなた顔(だけ)じゃなくて心が歪んでるんですもの。」というシーン。言い切ってます、ボンボンを選んで何が悪いと全肯定です。
ここのシーンで、女子なら誰でも「なんて悲しい話」と涙を拭いながら、心の中では
「よく言った!」
とガッツポーズしてると思います。まあ人とか殺してるし、心が歪んでると言い切っても特にバチは当たりますまい。でも確かに舞台で見ると格別釈然としないかもしれない。
安定を選ぶというのはまあ賢い選択です。でも映画のつくりとしてうまいなぁと思うのは、やっぱり安定を選んだ後はモノクロの色気ない世界なのよね。ファントムの存在だけが色を放つ。まあお母さんにだってそんな時代があったのよみたいな。
まあとにかく、ファントムかボンボンか、というのは今でも愛か金かみたいな究極の選択で示される永遠のテーマなわけです。加えてパリのオペラ座という綺羅の舞台。女の人の心をとらえて離さないのも無理からぬ事というものです。
逆に男性陣にとってはきつねにつままれたようにわけのわからないストーリーなんじゃないかと思います。感動しているのは圧倒的に女性が多いなぁというのが個人的な感想です。
まあ、とにかく不朽の名作ですよってことが言いたかっただけなんだけどね。
勘違いしてはいけない。iPod shuffleではない。Super shuffleだ。なんか最近そこかしこで話題になっているらしい。
本家より1.2mm厚いらしいけど、それでFMラジオとボイスレコーダーついてたらこっちの方がいいんじゃないか?でも録音してもシャッフルだからうまいこと当たらない罠があったりして。
それにしてもこういうものを堂々と売る台湾という国がすごい。
母が愛用していたラジオがぶっ壊れたらしいので我が家で一番電化製品に強いことになっている私が横浜まで買いに行った。基本的には店員さんに聞くのであんまり変わらん気がするが、どういう質問をされると答え易いかわかっている分だけ有意義かもしれない。
帰りにも色々必要なものを買い込み、休憩でお茶を飲んだりしている間にも色々と悶々と考えた。こないだ面接に行った時に思ったことだけど、受験とかは倍率2倍とか言うと上から半分は合格なわけだ。でも就職活動は極端に言えば何万人という人の中から数十人しか選ばれない。それって実は運命の人に出会おうとしてお見合いしているようなもんじゃんと今更ながらひしひしと身にしみる。上から半分ぐらいになら入る自信はあるけど、数千人の一人になれる自信は一体どこから引っ張ってくればいいのか。
夜部屋を片付けた。つっても普段どおり左のものを右に動かした程度だけど。それでも書類入れとかを買ってきて多少スッキリしたつもり。居住スペースを整理したらなんとなく自分と向き合う雰囲気になった。もっと早く片付けりゃよかった。何してたんだ今まで。
そんで今日一日色々考えて、一応この時期はこういう方向性で行こうというのが自分のなかで納得できる形になってきた。いつまでも学生でいられりゃいいんだけどなー。
ヘルシーな食事は美味いけどお腹もすぐ減るしー。
そんなこと考えている暇はないと言う。人もいる。私の場合は、根がぼーっとしたずぼらな性格なので、放っておけばいつまででもぼーっとしている。忙しくて色々やることがあって、頭の中が自然にキリキリしている状態じゃないと色々考えられない。間違いない。
今日はユビキタスコンピューティングの父、故マーク・ワイザー氏を生んだカルフォルニアの某研究所からお客様がやってきた。ヴィクトリア・エイミー・ダイアンと3人ともお美しい女性であった。内容的にはこちらからのプレゼンテーションが大半だったが、本気で面白がって聞いてくれてたみたいだったし、ミーティングをしていく中でも色々考えることもあった。
自分では考えているつもりだったけれど、オマエは本当に何がやりたいのかと、どのような価値を生み出せるのかと、もう一度自分に問いただしてみた方が良いみたいだ。
家帰ったら成績表が届いてた。今回とってた科目がオールAだったのが普通に嬉しい。まあ、科目数自体少ないんだけど、その分全科目に力を入れていたので結果として帰ってきてこれに関しては満足という感じですかね。大学は単位数減らして良い授業を増やすべきなんじゃないか?当たり前の話か。
とりあえず自分の持分の仕事はやらねばな。その前に掃除したい…。
郵便とゆーもののシステムは、システムであるだけに時に不条理を生みだすものらしい。小学生の時に、友達に年賀状を出すにしても普通に走って届けた方が明らかに早いのにと思っていたあの感覚がよみがえってくるかのようだ。
まあ、単純にエントリーシートが近場の郵便局の集配に間に合わなかったっていうだけの話なんですけどね。20時まで営業している郵便局でも、集配は19時だったりして、当日消印はもらえるけれども翌日にはつかないと言う。ああ。ていうか普通にもっと早く出しなさいよ自分。
でも、ご安心を。送付先の住所がある区内の集配局に持っていけば、24時までは大丈夫ということがわかりました。なので間に合いました。その節はご迷惑をおかけいたしました。
こうして、「締め切り」の感覚は徐々に甘くなっていく。
まだまだ直近にやることあるけど、ひとまず息がつける状態になってきました。ここしばらく、学会やら就職活動へのプレッシャーやらでへぼへぼしてましたが、インタラクション2005も終わりなんとか自分のペースに戻れそうな気がする。
学会は準備も大変で(みんなが)かなり忙しかったが、やはり去年も行っていえるからだろうか、以前のようにテンションが上がると言うことは無かった。自分が目一杯ワクワクして楽しむためには、そろそろ新しい場所に行かなければいけないということなんだろう。
それでも、面白いと思うものはありましたよ。私は一日目しか行っていませんが、インタラクティブ賞とってたコエカキをはじめ使ってみたい、やってみたいと感じるもの色々ありました。
ただやっぱり、日常的に自分がそれを使っているシーンが思い浮かぶかどうかなのよねぇ、自分の基準が。しかし、逆に言えばそういうところを考えるのがあたしの仕事とも言える。
テレビ局は記念受験になったくさいし、就職ジャーナル買ってESでもかくか。