2003年05月20日
開放感。
ここ2日ぐらいコイツのために忙しがっていたという研究会のプレゼンが何とか終った。今まで何回か授業でプレゼンはやってきたけど、本格的にやったのは今回が初めて。何とかデビュー戦を戦い抜きました。自分に、そしてウチのチームの皆さんへお疲れ様。今は一時の開放感に浸っています。
というよりですね、昨日睡眠が足りないと私ダメ人間のようなことを書いていたと思ったら、昨夜(正確には今日)の4時ぐらいに撃沈したあと、気が付いたら11時でした。オイ、普通に7時間睡眠とれてるじゃないか、っていうね。おかげで2限の英語は遅刻すらできない有様。ああ、コレじゃダメだよあたし。単位落としちゃうよ。
ウチの親父の中では、「家族4人そろった夕飯時には、普通の会話だけじゃなくてちょっと知的好奇心を刺激されるような話をする」というのが今の流行りらしい。
この親父というヤツがかなりの読書家で、書斎の壁は床から天井まで本で埋まっているような人だ。かなり面白い本をたくさんもっていて、私はそれで得をしているというか、色々ためになった部分があって、この歳になって今まで本を読ませてもらってきたことを感謝するようになった。
そんなわけで、彼の読書ノートというのもかなりの量になっている。ネタはここから供給されるのだ。今日は森本哲郎氏の「ぼくの作文学校」から。かいつまんでいうと、文章を書くにはイメージを持つこと、そしてイメージを持つために自分で考えることが大事という話。
おもしろかったのは、日本語と英語の違いという部分で、英語では"A is B"という一種類の言い方しかないところが、日本語では"AはBである"、"AがBである"というように、何種類も言い方があることが多い。人間の思考は基本的に言語によるものだから、英語で考えられた哲学や言葉の定義は、必ずしも日本語に当てはまらない。日本語のそれぞれの言い方のニュアンスの違いは日本人でも中々言語化しづらいものがあって、それが日本語の難しい部分でもあり、同時にたまらなく魅力的な部分でもある。
ホントに、日本語って知れば知るほど好きになる言葉だと思う。少なくとも自分にとっては。最近気付いたんだが、私はなにするにしても"毎日"やる、ということが出来ない人間だ、と思っていた。好きなことは色々あるが、毎日長く続ける事はやったためしがない。だが、気付いてみればもう日記をつけるという行為はかれこれ10ヶ月ほど続いている。さして文章が上手くなったとも思わないが、やはり自分にとってこれは相当に面白いことなんだろうな、と今更ながら思う。
今日のはちょっと長すぎた。自粛自粛。
投稿者 yosim : 2003年05月20日 22:05
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